ハンスリックの言葉「音楽は動く形式である」について

講義の中で、ハンスリックの「音楽は動く形式である」という言葉を聞いた時に、私はハンスリックの言う「形式」とは一体何だろうという疑問を持った。そしてたとえば、バッハについて「バッハ数」や「bach音」など、音符が単なる音符ではなく、そこに象徴的な意味が込められている可能性があるという説があるが、ハンスリックの言う「形式」にも形而上学的な意味が込められているのではないか、と私は仮定した。つまり、稚拙な例だが「ソナタ形式はキリスト教的な意味が込められており、完成された形式からむやみに逸脱してはいけない」などという事を言ってるのではないかと考えた。そして、それを確かめるために、各形式の成立過程と、その時代精神との結びつきについて調べようと思っていたが、その前にまず、その言葉が著述されているハンスリックの「音楽美論」を読む事にした。そして、少々読んだ段階で、私の仮定は全くの見当違いだという事がわかった。象徴は始めから在るものだが、形式は時代と共に芸術家によって作り出されるものだとハンスリックは書いているからだ。(P83・P134)そうなると「音楽は動く形式である」という言葉自体がわからなくなり、ハンスリックにとっての「形式」と共に考え直すことにした。用いた本は「ハンスリックの音楽美論/ハンスリック原著/田村寛貞訳著/牛山充訳補/音楽の友社/第三刷)で、Pの後の数字はページ数を表す。

最初に、「音楽は動く形式である」という言葉、私の本では同じ言葉が「音楽の内容は音響的に運動する形式である。(P120)」と訳されているが、これをハンスリックの言葉を用いて言い直してみよう。

『音楽の内容は、運動、即ち個々の音楽または和音の強弱変化をも《運動》と解する広義の運動(P87)をする、鳴り響く楽音による、楽曲を成す各部分の結合や集団の建築的な組みたて、即ちこれら各部分の連結を支配している均斉や対照、反復や展開(P226)の事をいう。』

そして、「形式」について、ハンスリックの言葉で述べてみよう。

『楽曲を成す各部分の結合や集団の建築的な組みたて、即ちこれら各部分の連結を支配している均斉や対照、反復や展開のある形(P226)、即ち形式は、空虚なものではなく充実されており、真空を包む単なる線の境界ではなく、内部から形成される精神である。(P123)そして形式を作り出すのは、音楽的要素と無数に出来るその組み合わせとの神秘的な関係から、最も奥深く隠れた最も美しい形式を発見し、一見したところでは極めて自由勝手に案出されたように見えて、しかも同時にまた不明の微細な脈略によって必然性と結合させる事のできる才能ある芸術家の想像力なのである。(P134)』

ハンスリックによると「形式」とは、内部から形成される精神なのだ。そして何の内部かといえば、作曲家の内部だろう。ハンスリックは作曲家の創造過程を「一定の情緒を音楽的に描写しようという意思ではなくして、一定の旋律の発見そのものが出発点である。作曲家のその後の創作過程は此処から出発する。この根源的な神秘力によって作曲家の心の中にある主題即ち動機が響くのである。しかも人間の視力は決してこの神秘工場内に立ち入る事は永遠に出来ないだろう。我々はこの最初の種子の発生まで遡る事は出来ない。中略・・しかしてその種子がひとたび芸術家の想像の中に落ちれば、彼は直ちに創作活動を始め、この主要な主題から出発ししかも常に復帰して、あらゆる関係を用いてその表現の目的を追求する。(P126)」と述べているが、内部とは作曲家の中にありながら、且つ人知の及ばないところにある「内部」を指すのだろう。それは神秘的な領域である。またそこから形成される精神とは何かを考えてみたが、ハンスリックにとっての観念と精神の区別がわからず断念した。それでも自分の想像で言うならば、そこから形成される精神とは作曲家の音楽的観念だろう。

もう一度ハンスリックの別の言葉を私風にアレンジしながら「音楽の内容は音響的に運動する形式である」を言い直してみよう。

『神秘力を得た作曲家から創造された、一定の精神状態を描写する事のできる、既に始めから個々別々に象徴的な意義を有っている楽音(P88)や、その固有の面影、その効果を及ぼすべき一定の法則を持っている各音程・各音色・各和音、そして各律動等の音楽的要素(P128)から成る主題から出発し、完結して、音楽的観念を表す形が、音楽の内容である。』

ハンスリックは「形式」に重きを置いているものの、音や音が作り出す音程、音色等の要素と同じ扱いをしなかったのは、音は神の創造物だが、形式は人間の創造物だと考えていたからではないかと思った。

最後に私の言葉で「音楽の内容は音響的に運動する形式である」を言い直してみたい。

『音楽の内容は、神の創造物を用いて神秘的な力を得つつ形成する作曲家の音楽的観念である。』


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