ショパン作曲「革命」エチュードは2拍子か、4拍子か?


ショパン作曲の「エチュード Op.10-12」通称「革命」は、ショパンの自筆譜によると「¢」2分の2拍子である。
ところが、ヘンレ原典版を除く多くの版(私が調べたのは、ウィーン原典版、パテレフスキー版、ウィーンユニバーサル版 、クロイツァー版、コルトー版、シャーマン版、ペータース版)は「C」4分の4拍子になっている。
ドビュッシー校訂のデュラン版は「4/4」になっている。

また、自筆譜にはメトロノーム記号が「二分音符=76」と記されているが、これもヘンレ原典版は自筆譜と同じで、 その他のほとんどの版が「四分音符=160」になっている。ペータース版は「四分音符=112」だが、ここでは 拍子について論じているので、テンポそのものよりも、四分音符を基準にしている事のみに着眼する。
クロイツァー版にはメトロノーム表示はない。

自筆譜と各エディションの、曲の本質をも変えかねない”拍子”の違いはどこから生じたのか?
初版譜(フランス原版)を調べてみると、やはり「C」4分の4拍子「四分音符=160」になっていた。
一昔前までは、校訂者が自筆譜を見ずに既存の出版譜を底本に校訂する事が当たり前だったので、
伝統的にOp.10-12は4拍子だと伝えられてきた帰来があるようだ。
しかし、「自筆譜、初版に基づく校訂」と明記しているウィーン原典版とパデレフスキー版には疑問を覚える。 両版共、「自筆譜は¢」と一言書き添えてはいるが、具体的な説明は何もない。
同じショパンのエチュードのOp.10-3のビバーチェからレントへの変更の謎への取り組み方とは対照的である。

ショパンの場合、自筆譜から初版に至るまでにショパン自身が原稿の変更をする事はよくあったようだが、 私の調べる限りではOp.10-12の拍子についてのそういう記録は見当たらない。
自筆譜の「¢」が初版では「C」に変えられるのは、プレリュードop.28の中にもあるし、 逆に「C」が「¢」に変えられてる例に、ベートーヴェンのピアノ協奏曲Op.37の第1楽章があるが、 当時の出版界において、「¢」と「C」の違いは軽く見られる傾向にあったようだと推察する。

では、ショパンの意向を探ってみたい。
ここでは自筆譜を尊重して、2分の2拍子として話を進める。

まず、自筆譜の「¢」の筆跡だが、「¢」を貫く真中の「|」は決して細くも薄くもなく堂々たる「|」で、 ショパンは迷いなく「¢」と書いたようの思える。また、ショパンが2拍子を意識していた根拠として、 私は2小節目の2拍目と2拍半目のアクセント、そして2拍半目につけられたクレシェンドに着眼した。

自筆譜では2拍目にアクセントがつくが、2拍半目にはつかずクレッシェンドが書かれている。
しかし殆どの版は2拍目、2拍半目に、左手のc音か右手の和音、もしくは両方共にアクセントがつき、 クレッシェンドは書かれていない。

実際にピアノで弾いてみると、2拍子で弾いた場合に2拍半目にアクセントをつけるのは非常に困難で、 アクセントをつけた上でのクレッシェンドとなると不可能に近い。
自筆譜の通りに演奏した場合、2拍目のc音にアクセントをつけ、そのままクレッシェンドする事になるが、 その演奏効果は、緊張から爆発する様をよく表し、「Con fuoco」にふさわしい音楽になる。 4拍子として演奏した場合、各拍ごとにアクセントをつけていくと、文字通り「練習曲」の域を出ない感じになってしまう。

ピアニストの演奏を聴いてみると、たとえばパデレフスキー。
パデレフスキー版には2拍目、2拍半目共にアクセントがつき、その上クレッシェンドまでついているが、 彼の演奏は2拍目にアクセントを つけた後、左手のトレモロはそのまま「まとめ弾き」をしてクレッシェンドし、 3小節目に劇的に突入している。
コルトー、フランソワ、アシュケナージ、ポリーニ等聴いてみたが、その箇所は大筋においてパデレフスキーと同じ弾き方、 つまり、自筆譜に適った演奏になっている。また、曲の全体を聴いても、4拍子より2拍子に聞こえる演奏をしている。

わたしはOp.10-12は「C」ではなく「¢」2分の2拍子だと結論する。
だが、たとえ楽譜を「C」から「¢」に書き換えたとしても、恐らくは「C」と書かれた楽譜を見て弾いているであろう 才能あるピアニスト達は、楽譜を超えた必要な表現を捉え、すでに「¢」で演奏しているのだから 優れた演奏家にとっては無意味な事なのかもしれない。
しかし、ショパンの生きていた時代から、楽器も人間の生活や考え方までどんどん遠ざかっていく現実に直面した時、 たとえ些細に見える「¢」の縦線1本でも正確でなければ、ショパンがショパンでなくなっていくのではないかと危惧する。
人類の宝を守っていく為にも、一般人にも楽譜の正誤が判断できるよう、自筆譜と初版譜のファクシミリが もっと手軽に入手できるようになる事を望む。

また余談だが、Op.10-12に関して、クロイツァー版はメトロノーム記号を表示せず、また曲の冒頭の16分音符につく アクセント記号を全てテヌートに変えている。
これは私の推察だが、ショパンは初期の作品には当時の流行に乗ってメロロノーム表示をしていたが、それ以降はメトロノームに 否定的であった事、それに、ショパンの書くアクセントは2種類あり、普通の「>」は文字通りのアクセント、 そして「>」がまるでディミヌエンドのように長くなっているアクセントは「表情豊かな音で」というニュアンスがあると言われ、 Op.10-12の冒頭のアクセントは後者、つまり長めのアクセントで書かれているため、それを汲んでテヌートに変えたと思われる。

クロイツァー版も校訂のひとつのあり方だと思うが、説明があってこそ許されるのであって、 楽譜のみでは間違ったショパンを学習者に植え付けるだけの事である。


<第4回ショパンの会コンクール作文論文部門優良賞(第2位)受賞 1997年11月>



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