ルドルフ・ゼルキンのモーツアルト
私がモーツァルトを初めて弾いたのが小学生の時。
その時から大人の現在まで数えられないくらいモーツァルトを練習してきたが
レッスンを受けると、音階の箇所ではどの先生も口を揃えたように
「真珠が転がるように」という事を仰られた。

しかし、私にはその「真珠云々」がどうも理解できなかった。
音の粒を揃える為に均質な音色で、流れるような音階を練習してきたが
どうも自分でも自分の音階に感動できない。

この真珠を初めて理解したのは
ゼルキンの弾くモーツァルトのピアノ協奏曲を聴いた時だった。

まず彼のスケールは音が揃っていない。
なぜならば、彼の音階の一音一音がその音の個性を最大限に発揮されていて何かしらを表現しているから
全ての音が違った性質を持つのだ。

当時のピアノは平行弦で純正調律だ。
音の個性は現在の比ではない。
この音をイメージして音階を弾くと、そのあまりの強烈さに目眩がする。
感覚的に、そして生理的に訴える力を持つ。

真珠は海の神秘だ。
どれひとつとして同じ真珠は存在しない。

ゼルキンは本当にモーツァルトを愛していたのだと思う。
すべての真珠を妥協なく表現しつくしているのだから。。





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