エフゲニー・キーシンとリスト
キーシンの演奏姿を見ると、いつも作曲家リストの演奏姿を思い出す。

骨ばった細身の身体に長い手足が印象的で、それがピアノに掴みかかってるようにも見えて
キーシンを漢字で書くと「鬼神」だなぁ〜とか、我ながらイケテルギャグを思った。(馬鹿)

普通演奏を聴くと、なんとなくこのピアニストはこういう勉強をしてるな〜とか
演奏効果を出すためにこういう事をしているな〜と感じるものだが
正直、それを感じさせる演奏家は「一流」であっても「超一流」ではないというのが私の考え。
笑わせようと必死になっているコメディアンが面白くないのと同じ事だ。

しかし1900年頃なら時代の残り香で演奏できたものが
今はClassicalの頃から数百年の時を経ていて、時代考証等の研究が不可欠な時代になっており
そういった研究成果が演奏に反映されるのは当たり前の事である。
しかし、反映される事と見える事は全く別の話で、「研究成果」の見える演奏は私を白けさせる。
「研究」はあくまで演奏家の舞台裏であって、
演奏会後、帰宅する頃に演奏家の「研究成果」に気付いて一人悦に入るのが楽しいのだ。

キーシンは現在のピアニストには珍しく「研究成果」の見えない演奏家である。
というか、彼は練習はしても勉強はしていないのではないか。(爆)
勿論、どこかのエライ先生やキーシンから聞いたわけではないので信憑性は全くないが
しかし彼の演奏のからくりを盗み見しようと注意して聴いても
まず音楽に魅せられて頭の中が真っ白になり、からくりを聴く余裕がなくなる。

天才は勉強が必要ないという事を示す典型的な人だと思う。
インスピレーションが全ての学問を凌駕している。


それでもただ一つ、彼の演奏の秘密を紐解くならば
彼は手の長さを使って音の遠近感をコントロールしていると私は勝手に思っている。
勿論、どこかのエライ先生やキーシンから聞いたわけではないので信憑性は全くないが。(こればっか^^;)




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