ブラームス作曲 Op.118-2 Intermezzo 間奏曲
ブラームスとクララ・シューマンの関係はどうだったのか・・・。

私も例に漏れず20代の頃は短絡的に「恋人だったかそうでなかったか・・」という風に考えていましたが
それなりに人生を経験するようになってそういう事があまり重要に思えなくなってきました。
というのも、二人の間に恋愛感情があったことは誰も否定しないと思うのですが
恋人だったかどうかという問題は、結局は肉体関係があったかどうかという事でもあり、
しかし、私は肉体関係のあるなしによって二人の関係の質が変っていたとは思えないからです。

確かに肉体関係は男女に一体感とそれに伴う深い愛、そして相手を我が物に感じる束縛感を生むと思います。。
当時のブラームスのような20代の若い男性の心理は私にはわからないですが
クララ・シューマンのような男性的な性格で、また人生の地獄の一面を見た大人の女性は
肉体関係を持ったからといって全てを男性に委ねてしまうような事はしないのではないでしょうか。
そして彼女は男性を束縛をしないかわりに、束縛される事も許さないだろうと思うのです。

反対に肉体関係がなかったとしても
彼女の愛の質はあった時のそれとは変らないと想像します。

肉体関係があっても束縛しない孤独。。。
深く愛していても肉体関係、つまり一体感のない孤独。。。

この孤独の存在をあえて選んだのが、ブラームスとクララ・シューマンだと私は思うのです。

ブラームスのヴァイオリンソナタに「F.A.E.のソナタ」というのがありますが
「F.A.E.」とは「Frei aber einsam 自由だが孤独」の略語です。
「孤独だが自由」という言葉にしなかったのが胸に沁みますが(諧謔的とも取れますが)
だからといってブラームスは不幸だったのでしょうか。


このOp.118-2を聴くたび、また自分が演奏するたびに(極めて主観的な思いですが)
ブラームスの「これで良かったのだ」という言葉が聞こえてくるように感じます。

そこには普通の幸せよりも芸術を選んだ二人の、愛の形が結実しているように思います。





私の愛聴CD:Brahms/10 INTERMEZZI etc.  Glenn Gould(グレン・グールド) /SONY RECORDS FCCC 40037




余談:ブラームスがユダヤ人かどうかについて議論されるけど、
私はブラームスの父はユダヤ人で母はドイツ人じゃないかと思うのです。
ユダヤ人は、ユダヤ人の母から生まれなければならないので
だからブラームスはユダヤ人ではない・・・と勝手に想像しています。

これは本当に想像なので間違ってたらごめんなさい^^;


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